top of page
探究室コーナー.001.jpeg
iStock-1315524809.jpg

これまでの歩み

New!

これまでの歩み #4 2023年5月29日(月)分 みなさまおはようございます! はまどです! 2週間前の投稿では、生まれてからすぐに経験したハーフ的(エジプト的)体験について書きました。僕にとっての普通でも、他の人は「面白い!」と反応してくれるので、そういうものも投稿したいと思っています。 前回の記事までは保育所に入るまでの経験を、ハーフならではの2面的な紹介の仕方で書きました。 今日は北海道で過ごした保育所での時間を、覚えてる範囲で書きたいなと思います。 保育所に入るまで、留辺蘂町という田舎のソサエティーの中で、両親が営んでいた塾に集まる小中学生に囲まれて可愛がられハッピーな生活を送っていた僕ですが、保育所に通う時期がやってきました。 5.保育所デビュー・軽い思い出 保育所は こびとのうち というところに通っていました。当時住んでいた留辺蘂町からは離れているところにあった保育所で、少し変わったところです。 僕のイメージですが、 職員側に「教える」だとか「面倒を見る」という意識が強くある中で生活するような普通の幼稚園、保育所がたくさんある中で、こびとのうちは「一流のファシリテーション」をしているような場所でした。 基本的に堤防や河川敷・公園などに子どもたちを放って、特に一つ一つに干渉することなく、職員の人たちは「何かあった時助けてくれるおじさん・おばさん」のような存在でした。学童も存在したのでそこそこ上の年齢の子ともずっと一緒にいる環境で、もちろん子ども同士喧嘩もたくさんですが、なんだかそういう衝突でさえも「自然なできごと」と認識できるような安心感がある保育所でした。北海道なので雪も降ったり自然も豊かで、とにかく外でたくさん遊びました。 こういった特別な保育所だったからこそ母も、遠くてもここを選んで送ってくれていたのだと思います。自分でも覚えているのは、母が送ってくれた別れ際に毎回毎回泣いていたこと。でも、建物の中に入るとケロッと泣き止んでいたらしいです。「別れ際」のシーンに弱かったみたいで、今でも別れのシーンには弱いです。 外れの小さい街でのんびりと、歳上が多い環境で愛されながら生活していた僕ですが、保育所に入ったことで急に同年代の相手や近い範囲での年上と多く対面することが多くなりました。特にこびとのうちは自由奔放スタイルだったので相当アウェーを感じていたのではないかと思います。でもすぐに慣れたことだと思います。 北海道での幼少期を振り返った時に、当時から相棒のような存在であった幼馴染Tくんと過ごした時間がすごく思い出されます。Tくんは一つ上で、保育所に入るよりずっと前に互いの母親同士が赤ちゃん検診で出会い、仲良くしていました。その後同じタイミングでこびとのうち保育所に入り、ずっと仲のいい僕の唯一の幼馴染です。とにかく気が合って、小さい頃からストレスフリーに自然に一緒に遊んでいました。北海道での「楽しかった思い出」の半分はTくんとの思い出なくらい気が合う相手です。 保育所生活後半くらいから僕も記憶があるので、次回以降は僕の記憶をベースに書きたいと思います。その際にTくんもそれなりに出演すると思います。 月曜日の「これまでの歩み」のテーマはどうしても僕が振り返って自己満で完結してしまう内容なのですが、保育所後半〜はもっと趣のある事柄を描くことになると思いますので、興味ある方のみ!楽しんでいただきたいです。

これまでの歩み #3 2023年5月15日(月) みなさんこんばんは はまどです! 今日は月曜日なのでテーマは「僕のこれまでの歩み」で、第三弾です! 継続が苦手な僕ですが、今日ではれて7記事目、3週目になりました。 いつも読んでくれているみなさんには感謝しかないです。 先週は生まれ~幼稚園に入る前までの「日本を基本とした生活」の経験について書きました。 僕は面白いことに、父の影響で当時から「エジプト/アラブを基本とした生活」も同時進行で経験していました。 なので今回は、生まれ~幼稚園に入る前までの「エジプト/アラブを基本とした生活」を書いてみようと思います。 3.エジプトのハーフとして生まれる 2005年 日本で生まれた僕ですが、国籍は二つ持ちでした。 母が日本人で父がエジプト人 (2人の出会いを知りたい場合は”これまでの歩み#1”をみてみてください) いつも質問される話ですが、「家では何語なの?」問題。 紹介します↓ 正しく言えば ①はまど⇄父 :アラビア語20%+英語30%+日本語50%のミックス ②はまど⇄母 :日本語100% ③父⇄母   :日本語30%+英語70%のミックス ④はまど⇄父⇄母(3人での会話) :アラビア語10%+英語40%+日本語50%のミックス です。 僕の習得する言語に対する両親の思いが小さい頃からミックスされており 母・・・日本語を定着させたい:一つ母国語をしっかり伸ばして、深く考えられるように 父・・・アラビア語を定着させたい:日本生まれ日本育ちの僕に、アラブのルーツを忘れて欲しくない。エジプトに移住して、エジプトで将来を過ごせるように と僕が生まれた時(もしかしたら生まれる前からかも)からこの永遠の議論が生まれてました。 赤ちゃんの僕は母や周りの人も日本語で話しかけられ、父からは積極的にアラビア語で話しかけられました。アラブの音楽が家で流れたり、ビデオを見たり。 赤ちゃんのストレージでは処理できないようなデータ量です。これぞハーフのリアルだと思います。 エジプトやアラブの人は愛国心が強い傾向にあり、自国の文化や宗教に誇りを持っており、他国に移ったとしてもその誇りの火は消えず、文化をいろいろ教えてくれます。 父も町の歌謡大会で留辺蘂町でイスラムの民族衣装を着ながら山河を歌ったり。 歌手と民族の太鼓を演奏する役としてコラボしたり ドメスティックな町に突如現れた異色な国際人として有名になり、留辺蘂町の人々に好かれていました。 僕は小さな可愛い息子だったので、歌謡祭でも子ども用の民族衣装を着て父と手を繋いでステージに立つなどして、ハーフの特別な存在として皆に愛されていました。 4.1歳6ヶ月 はじめてのエジプト 僕の初エジプトは1歳6ヶ月の時で、3人で東京→韓国→エジプトのルートで向かいました。 現地では初の顔合わせの家族もいて、歓迎ムードでした。 (以下どうでもいいエピソード) 車でナイル川の上を通った時、広くて大きいナイル川を見て1歳6ヶ月の僕は「kawa!」と叫んだそうです。 こんな感じで僕は生まれてすぐ2つの国を体感する環境育ちました。 変わってるなと自分で思うこともありますが、小さい頃からのこういった多色でカオスな経験から来てるのかなと思います。 来週は幼稚園に入る~を書きます! いつも読んでいただいてありがとうございます!

これまでの歩み #2 2023年5月8日(月) みなさんこんばんは はまどです! 今日は月曜日なのでテーマは「僕のこれまでの歩み」で、第二弾です! 前回の記事では自己紹介+生い立ちを書くべく両親の出会いまで遡って第一弾を書きました。 今日からは生まれた以降をところどころ思い出しながら投稿していきます! 2. 生まれ 両親のもとで僕は2005年 北海道留辺蘂町に生まれました。 この頃両親は留辺蘂町の平屋で住みながら小中学生向けの英数塾を営んでいました。 「ザナティ英数教室」では(父)が英会話を小学生に(母)が英語と数学を留辺蘂町に住んでいた中学生に向けて教えていました。 当時はすごく盛り上がっていて、生徒数が120人を超えたりしていた時もありました。 (少子高齢化の小さな町での個人塾としては結構すごいことだと思います) 住居兼塾で住んでいる場所と合体していたことから、生まれた時から塾生のみんなに遊んでもらいながら自然豊かな広い土地で生活していました。 \\ 今に影響しているこの頃の経験トップ2 // 1-今の性格に影響 赤ちゃんの頃は可愛かったので周りに集うお兄ちゃんお姉ちゃんはみんな笑顔で僕を見つめて、よく遊んでくれました。 近所のおじいちゃんおばあちゃんもニコニコで、街のみんながよくしてくれていました。 “周りが笑顔でいないと不快感を覚えてとにかく気になって神経をすり減らしちゃう”今の性格は絶対この環境からだなと思っています。(笑) 2-今の肺活量に影響 英数教室は僕がお腹の中にいた時にはすでに始まっていて、生まれた直後も育休などなく、母は夜10時になっても中学生に教えていたそうです。 生まれたばかりなので夜 とにかく大声で泣きじゃくって、働いている母を呼び続けていたそうです。 僕の小学校・中学校時代を知っている人はわかると思うのですが、マラソンが大の得意で、校内大会では高学年相手でもぶっちぎりで優勝していました。 持ち前の肺活量はこの赤ちゃんの頃に無事鍛え上げられたようです(笑) ---------------------- 4歳くらいまでこのような道東の田舎の甘い自由な環境で育ちました。 今ざっと書いたのは「日本を基本とした生活」で、父の影響で当時から僕には「エジプト/アラブを基本とした生活」も面白いことに同時進行でありました。 ハーフなりのリアルな家族と生活の様子になりますが、この辺りがかなり趣があると思うので次週、書いてみようと思います。 お楽しみに!

これまでの歩み #1  2023年5月1日(月) みなさんこんばんは🌠 はまどです! 初めて記事を書くのでまだ手探りですが、日を追っていくうちにどんどん磨かれていく文章の過程をぜひ楽しんでください! 今日は月曜日なのでテーマは「僕のこれまでの歩み」です。 一番初めの投稿なので自己紹介をテーマに書いてみることにします。 自分の概要をざっと紹介します! 名前:ザナティハマッド 年齢:2005年11月生まれ 17才 高校3年生 母は日本人で父がエジプト人のハーフ 生まれ育ちは全て日本で北海道→香川県→という流れで今東京都にいます 言語は日本語(ネイティブ)と英語・アラビア語(中級程度)ができます。 普段自己紹介をすると、ハーフ&3都道府県の移住という情報で「んんっ?」と反応する人が多いです。 もう一つの国籍が「エジプト」だということもなかなか覚えてもらえないこともあります。 小学生の頃クラスメイトには、「ブラジルのハーフ」「インドのハーフ」「ピラミッドのとこのハーフ」などなど言われていました。 あと多い質問が、そのそも両親はどこで出会ったの?という質問。 1. 両親の出会い 日本の大学で出会ったの?と推測されることが多いですが、全然違っていて、 両親の出会いはスペインだそうです。 1992年に開催されたセビリア万国博覧会の時に母は日本赤十字から、父はエジプト赤新月からボランティア派遣され初めて出会いました。 その後母は父の住んでいたエジプトに移住し、結婚。母がカイロアメリカン大学を卒業した後、父も日本を訪れ日本に移住。旅行で北海道に訪れた際に留辺蘂町という街で出会ったボーイスカウトの人たちと父が意気投合し、父が留辺蘂町に惚れ込み、引っ越しました。 そんな経緯で僕は2005年 北海道留辺蘂町に生まれました。 続く… 次週 生まれた以降をところどころ思い出しながら投稿します!

bottom of page